守られるべき聖域 真剣で私に恋しなさい/みなとそふと

真剣で私に恋しなさい/みなとそふと


本文はネタバレを含みます、ご注意ください。
今回は自分でもやりすぎかな、と思うくらい意見が飛躍しているところもありますが、戯言程度にお受け止めください。


はじめに
つよきす」「君が主で執事が俺で」の流れを汲んだタカヒロの最新作です。軽快に読みやすいテキストと随所にちりばめられたパロディ・ネタの数々。熱い展開から感動まで、全体としてバランスの良い作品でした。共通ルートではわいわい楽しく、個別ルートに入っては登場人物の成長を、リュウゼツランでは仲間について。個別に関してはキャラクターによっては多少のずれはありますが、おおむねこの流れで展開しています。中心におかれるのは風間ファミリーであり、プレイヤーは物語を通じてそこに共感していく、擬似的にファミリーに加わったような感覚でストーリーを楽しむことができます。


パロディ・ネタ要素について
しかし、パロディというのはどうしてそこまで人気を集めることができるのでしょうか。はっきり言って、元ネタを把握していない人間にとっては、なんのことかさっぱりわかりませんし、おいていかれたような気分にさせられることも多いはずです。「君が主で執事が俺で」に関してはパロディが過剰に盛り込まれており、その部分が指摘されていました。それに比べれば本作はオリジナル(=パロディに頼らない)の笑いもしっかりあり、頼りきりにならなかったのは良かったのではないでしょうか。比較的、本作をやるような人々にとっての共通項(アニメ・マンガ・ゲーム)から、元ネタを取り入れているにしても、やはり中にはマニアックなものもあり、完全に楽しめるかといえばそうではないはずです。もちろん、すべてを把握することができるのが一番楽しめるわけで、ここら辺に不満が集中せず、支持されているのには不思議な印象を受けます。しかし、タカヒロの持ち味の一端をパロディが占めていることも間違いなく、結果ユーザーの完璧な満足と彼らしさというのはトレード・オフな関係になり、両者とも納得せざるを得ないのでしょう。おそらく。


リュウゼツラン
リュウゼツランルートが仲間の物語だ、と一般的に言われているのはわかるのですが、わたしは更に一歩進めて、リュウゼツランルートは「許しの物語」であると言いたいです。冬馬ファミリーVS風間ファミリーというのはそのまま展開されていたのですが、風間ファミリーのヒロインである「百代・一子・京・クリス・由紀江」それぞれにも物語がきちんとありました。百代は、多くのルートを通じて自分の力を常に発散したい・戦いたい=戦闘狂のように思われています。またそのことから、周りに強い人間がいないということにも不満を感じています。しかし、実際には身近な場所に板垣辰子という強敵が存在し、そして仲間が傷つけられ自分を見失っても禁じ手・人水母は使わなかった。つまり、辰子によって世界にはまだまだ強い人間がいるということを認めることができ、また力に関しても自制できるということがわかります。一子は、一子ルートにおける努力が才能を超えることができなかったというのを、ルー師範代VS釈迦堂に重ねることができます。ルー師範代は師範代である以上、武術の才能があったわけですが、努力の人間が圧倒的な才能を超えうるとして、一子の想いは報われるのではないでしょうか。ただ、ここで言っておきたいのは、一子ルートの結末である栄養士としての道が間違っているというわけでは決してありません。あくまで、師範代を目指していた頃の、あの瞬間の彼女の想いが報われるという意味です。京はそのままシナリオで表現されるように、小雪との対比で。京は大和によって救われましたが、小雪は拒絶されたために、どこか欠けてしまった。冬馬によって救われている…というより、小雪が一方的に強く依存している関係で、どうしたって不安定さを感じます。もし子どもの頃に京が拒絶されていたら小雪かそれ以上に壊れてしまう可能性もあったわけで、京が救われたという事実を強調しています。クリスは、正義のために生きるという彼女のイデオロギーを、わかりやすい悪である板垣組との対立で。由紀江も、自分の持っている力を常にもてあまし気味でしたが、暴力としてただ振りかざすのではなく、弱い者を守るために使うのであるということを、多くの人々を助けていくところから理解することができます。

このように、リュウゼツランルートにおいては、それぞれのヒロインの行動・価値観が許されていく(=認められていく)構造になっています。個別ルートにおいて、ヒロインを尊重し生かすというのは当たり前なのですが、まとめルートにあたるリュウゼツランにおいて、マクロでは冬馬ファミリーと風間ファミリーとの対立を描きながらも、ミクロ的にはそれぞれのヒロインを生かすことができているのがしっかり考えて作られているように思いました。


ベストプラクティスの吸収
さて、本作はタカヒロ氏と交流のあるライターのヒット作の影響を受けているだろうと思うことが何度かありました。丸戸史明・るーすぼーいと新鋭ライターとして交流が深いことは有名です。例えば、仲間の構造やその聖域に関しては、丸戸作品の影響。街を巻き込んでの展開は、るーす作品にそうした展開がありました。単なる偶然や考えすぎという気もしますが、何かしらの影響を受けていたとしてもおかしくないでしょう。また、誤解のないように言いますが、別に両氏の作品を真似したとか模倣だとか、そんな陳腐なことが言いたいのではありません。あくまでも要素としてです。成功体験の吸収は決して否定できることではないはずです。


タカヒロの描きたかった世界
タカヒロ氏の作品に関して、わたしは「つよきす」以降ずっと感じていることがありました。それは非常に「ジャンプ」的であるということです。ジャンプというのは、あの週刊少年ジャンプのことです。そして、その三大原則は「友情」「努力」「勝利」です。タカヒロ作品は、美少女ゲームであるという前提から「恋愛」を中心にして、これらの要素を加えています。恋愛を中心に…とは言いますが、ジャンプ自体、いつの時代もラブコメ作品は定番なわけで、言うならばタカヒロ作品を構成するものの多くは、やはりそれといえるのではないでしょうか。しかし、ここでわたしが思うのは、果たしてこのまま「ジャンプ」であり続けて良いのか?ということです。なぜならジャンプが読みたい人はジャンプを読むでしょうし、美少女ゲームを堪能したい人にとってはどうでしょうか、非常にどっち付かずの印象を持ってしまいます。「つよきす」で確立した手法をそのまま発展させたのが「真剣で私に恋しなさい」です。次回作も同じ手法が通用するかと言ったら、それほど甘くないのがこの業界でしょう。ぜひ、「タカヒロ」らしさ、というものをもっと獲得して欲しいと思います。タカヒロを批判する声の中には、「パロディは所詮他人のふんどし」という意見があります。ですが、それにしたって適切な位置に配することができるのは、やはり彼の才能でしょう。せっかくここまで人を惹きつける才能があるのですから、そこに胡坐をかかずに、よりプレイヤーを驚かせるようなシナリオを届けてくれることを、ファンとして期待しています。言うなれば、ジャンプの中のタカヒロではなく、タカヒロの中のジャンプを見たいと思います。


まとめ
つよきすで本格的にファンになったわたしとしては、「真剣で私に恋しなさい」は本当に待ちに待った作品でした。売り上げ的にも成功しているようで、タカヒロ氏の人気の高さを改めて実感しています。全体的な尺不足から、どの展開にしても中途半端だった前作に比べて、本作は、長さはもちろん展開も充実していました。中でもリュウゼツランルートは、想像の遥か上を行きましたね。バトルはあるだろうと思っていましたが、まさか街を巻き込むような大きな事件になるなんてまったく想像できませんでした。キャラクターの魅力も物語の長さに比例するように感じられ、どのキャラクターも可愛くできていると思います。ファンディスクの製作も決定しているようで、そちらも楽しみにしたいですね。期待を裏切らない話題作でした。