乙女とペダンチックと どんちゃんがきゅ〜/light

どんちゃんがきゅ〜/light


さかしきひとにみるこころのスピンオフ的な位置づけなのか、そもそも切り離してまったく別の作品として捉えたほうが逆に馴染みやすかったんじゃないかとか、そんな余計なことを思わず考えてしまうくらい、別方向な作品でした。さかここのほうがより強いメッセージを背負って体現していたのに比べてちょっと弱かったんじゃないかな、と。ただ本作は、ガジェットとして“恋する乙女の日記”をのぞき見るような、そんなところに存在しているような気がするので、そういう方向で捉えると、素晴らしく良くできた作品に見えてくる。地の文という表現が適切かはわからないが、そのほとんどは主人公である紀子が喋ってれるし、だからこそできる表現というのもたぶんにあって面白い。わたしなんか、その「のぞき見」的な楽しみ方は早々に飽きてしまって、純粋にシナリオを追っていたにも関わらず、可愛いなぁと思ってしまう瞬間が何度もあり、やはりそこはこの作品の仕掛けとライターの力によるものなのだろうと納得していました。


「職人の世界は厳しい、その女を務めるのならばそれを重々承知していなければならない」という、俊夫のいる世界ならではの厳しさを紀子にぶつける残酷な場面を何度も見せ付けられるのだが、それでもそのたびに曲がったり折れたりすることのない紀子の強さ・ひたむきさというのは、ひどく魅力的だった。でも、そんな紀子もちゃんと一人の女の子だ、というのを最後に仕込んでいて(人形を壊そうとするところですね)、限界のある人間だ、女の子なんだということを上手く表現することで、それまでのひたむきさがより強まったように思う。夢や理想を見せ付けられるだけでは、作品の中とは言え、違和感を持ってしまうので。しかもそれをクライマックスにぶつけてくるので、紀子の切実さがよく伝わってきて、さらにリアルだった。まぁ結局、親方の優しさ・愛という枠の中でひたすらに泳がされていた二人という気がしないでもないですが。


普通のエロゲーは、大体男が主人公で、その内面に関して事細かに描写されていることが多いことからくるギャップなのか、俊夫がどんな人間なのかよく理解することができなくて、どうしてそんなに紀子が入れ込むのか、という根本的なところに疑問を持ってしまうことも。Hシーンに行くと途端に変態になるあたりも、それが作品としてのジョークなのか本人の性格なのかもよくわからない。悪い人間でないということもわかるし、夢と自分に正直だということも良くわかるが、それだけでは?と思わないでも。ただ、ここは文句をつけるところではないということももちろん理解しています。深く考える上で気になった点として。


けいおん!だとか、らき☆すただとか、少女観察というジャンルが確立されてきているが、本作は恋愛を主軸においたそれと呼べるのではと考えてます。それだとただの少女マンガという括りになってしまうかな。ただ、この少女マンガという表現は本作を説明する上で非常に適切。そう、少女マンガと、それに現実というストイックさを重ねたような作品でした。今の少女マンガのほうがよっぽどストイックだ!という声もあるかもしれませんが、わたしにはこのくらいがしっくりきます。「紀子」というある種、キャラ幻想の生んだ理想の乙女を知る楽しさやこそばゆさに満ちた作品でした。